「自分たちが蒔いた種が、巡り巡っていずれ町に返ってくればいい」@池商店

QO 恒藤:池さんや楠木さんは、コロナ禍のタイミングで新たにお店をオープンしたりリニューアルをしたりと、それぞれ大きな動きをされていましたよね。状況的に大変な中、その最初の一歩を踏み出した理由は何だったのでしょう?
五人百姓池商店 池:〈池商店〉は、店の前が参道なので常に人通りがある場所なんです。母の代から「いつか改装したい」という思いはあったのですが、なかなか機会がなくて。コロナ禍で人がいなくなったことで、逆にチャンスというか、「今しかない」と思ったんです。あとは、近所のおじいちゃんやおばあちゃんたちが、地域の交流が減ったことで元気をなくしていく姿を目にしたのも大きくて。世の中全体が、人に話しかけていいのかもわからないような状況だったので、お店を大々的にリニューアルすることで、「何をしてるの?」と地域の会話のきっかけになればいいなと思いました。
TABIPPO 清水:楠木さんが運営する〈コトリ コワーキング&ホステル琴平〉も含めて、ちょうど同じ時期にいくつか動きが重なり、町全体の景色が変わっていった印象があります。

池:琴平は、住んでいるだけで毎日が楽しい場所なんです。町の人が自然と周りを気にかけていて、道端で知り合いにばったり会うのも日常茶飯事。歩いているだけで「いい偶然」が起きるのが、この町の面白さだと思います。コロナ禍を経て、そうした当たり前の日常の尊さに改めて気づかされました。
琴平バス 楠木:僕たちがこのような流れになったのも、ある意味で「偶然」的な部分があります。2021年にインバウンドの仕事をする友人を呼んで勉強会を開いたんです。参加してくれたのは主に若い世代が中心。何度か懇親会や勉強会を重ねていく中で、「こんなふうに考えていたのか」とみんなの想いが見えてきて。お互いにサポートできる関係性が生まれていきました。そんな中で、みんながそれぞれ新たにお店を開いたり改装をしたり。周りが何かをスタートさせる姿を見て、自分もやらなきゃと思いましたね。

清水:個々の動きが重なって、結果的に町の変化につながっていったと。外から見ていると皆さんの「やりたいこと」が、ご自身の「好きなこと」に繋がっていますよね。もちろん、ビジネス的な側面もあるとは思うのですが、それよりも「やりたい」と思うかどうかが出発点になっているというか。琴平の観光コンセプトの通り、まさに「好きがコトひらく」町だなと感じます。
楠木:地方だと、どうしても「この地域を盛り上げよう」と全体をひとつに束ねがちだと思うんです。でも琴平はそうではなくて。「僕は商店街を活性化します」「僕はデジタルノマドを呼びます」と、それぞれが実現したい目的に向かって自走している。それなのに、不思議とその視線の先が重なっている感覚があるんです。

恒藤:琴平の皆さんを見ていると、町がそれぞれの「好き」で繋がっているからか、自然と「ただいま」と言いたくなったり、「僕たちも仲間に入れてほしい、関わりたい!」という気持ちが湧き上がってくるのを感じます。街の土壌としても、僕たちのような外から来た人間を、まるで地元の人のような距離感で温かく受け入れてくれる感覚がありますよね。
池:昔からの街の風土がそうさせているのかもしれないですね。江戸時代に「こんぴらさん」は一生に一度の旅先として日本各地からさまざまな人が訪れている場所だったそう。当時の人の旅日記を読んだことがあるのですが、「違う町から来て、違う方言を使って話しても、琴平だけはよそ者扱いされなかったのが嬉しかった」というような内容が書き残されているんですよ。
恒藤:昔から“外に開かれた場所”だったんですね。
池:参道にある石段は最初はなく、昔はもっと山登りのような感覚でこんぴらさんへお参りに来られていたのではないかといわれています。昔はみんな、命がけの「登山」のつもりでこんぴらさんにお参りに来ていた。その中には、病気の家族の代理ではるばる琴平まで来る人たちもたくさんいて。そういう人たちが、願いが叶ったお礼や感謝のしるしとして、一段ずつ石段を寄付してくれたんです。1700年代後半から寄付による整備が始まり、ようやく今の姿になりました。そう思うと、石段を登るありがたみも違ってきますよね。
清水:そう考えると、今の琴平も長い歴史の一部で、これから街が変わっていく中の通過点のひとつに感じられます。

池:本当にそうで、今はたまたま「僕が走っている番」なんだという感覚があります。できる限り自分たちの代で価値のある状態にして、次の世代にバトンを渡したいなと。
楠木:もちろん事業としての軸は持ちながらも、僕たちが琴平でやっていることって、目先の直接的な収益を今すぐあげるというより「自分たちが蒔いた種が、巡り巡っていずれ町に返ってくればいい」という感覚がすごく強いんです。ある意味で「回りくどい」アプローチではあるかもしれませんが。
恒藤:その「回りくどさ」がいいですよね。東京と比べるのは極端かもしれませんが、都会はどうしても目的や合理性が求められる場面が多い。ビジネスにおいて「なぜやるのか」「費用対効果はどうか」という視点ももちろん大切ですが、そればかりになると、目的がないのに人に会ったり、時間をもらったりすることが難しくなってしまう。その点、琴平には心地いい「余白」を感じます。その余白があるからこそ、人と人が自然につながって、そこからまた予期せぬなにかが生まれていく。一見回りくどいプロセスそのものが、すごく豊かなことだなって思いました。

「日々頑張れるのは、この街とここでやっている仕事が心から好きだから」@HAKOBUNE

QO 恒藤:近江さん、岸本さん、楠木さんと、いまの琴平のキーパーソンとも言えるお三方ですが、みなさんはどのようにして繋がっていったのでしょうか?
琴平バス 楠木:近江さんも岸本さんも、もともとは琴平の外から来た人たちなんです。
KOTOVEGAS 近江:自身の会社である株式会社地方創生の仕事で、琴平のシャッター商店街をどうにかしたいと考え、2019年頃にこの街を訪れたのがきっかけです。
HAKOBUNE 岸本:僕は岡山出身で、もともとはダンスや動画制作の仕事をしていました。7〜8年ほど前、琴平にある親戚の家が空き家になったと聞いて。「僕の仕事はどこでもできるし、広い家に住めるなら行ってみようかな」と思ったのが始まりでした。
楠木:近江さんは〈琴平文具店〉、岸本さんは〈栞や〉というカフェをスタートして。僕はお店に遊びに行ったりして、自然と顔見知りになっていく感じでしたね。

QO 麻生:最初はちょっとした縁だったのに、皆さんすごく仲がいいというか、もう何十年も前からずっと一緒にいたような空気感がありますよね。
楠木:近江さんは、とにかく巻き込み力がすごいんです。趣味のエアロビクスに誘ってくれたり、飲みに連れて行ってくれたり。初めて会った時から琴平の街のことをよく知ってくれていましたし、コミュニケーション能力に長けているんですよ。
岸本:僕はどちらかというと、大人数の飲み会が得意ではないタイプ。それでも皆さんがよく会を開いてくれていたので、自然と慣れていったというか。近江さんは個別にも声をかけてくれたので、無理なく関係が深まっていきました。
楠木:あと、飲み会だけじゃなくて、無理にコミュニケーションを取らなくてもいい場もあって。たとえば〈松尾寺〉で打楽器を鳴らすイベントとか。お酒の場だけではなく、言葉を交わさずとも繋がれる機会があるのも、琴平らしいところかもしれないですね。

TABIPPO 清水:ビジネスから入ってないところが、皆さんのゆるやかな絆を作り上げているのかもしれないですね。この関係性を続けていく上で、地域内での暗黙のルールとかあるんですか?
岸本:ルールという感じではないけれど、自然と連携を取り合う関係ではあります。コロナ前はそれぞれの店が独立して動いている感覚が強かったんですが、コロナをきっかけに少しずつまとまっていく感じがあって。お互いに声をかけ合うとことが増えていきました。
楠木:ほとんどのプロジェクトが同じ時期に立ち上がったということもあって、自分ごととして考えるようになったところがあると思います。
岸本:例えば、僕がやっているアーティストレジデンスの解体を手伝ってもらったり、楠木さんの〈コトリ コワーキング&ホステル琴平〉が大洪水になってしまったときは駆けつけたり。何かあったら助け合う関係性に自然となっていきました。

清水:やっぱり、物理的な距離の近さもありますよね。近いからこそ気軽に誘えるし、困っている時に見て見ぬ振りができない。それがみなさんの関係性を育てている気がします。
QO 國守:琴平の皆さんは、しっかりコミュニティ感があるんですが、いわゆる“内輪ノリ”のようなものがないですよね。岸本さんや近江さんがもともと琴平の外から来られていることもあってか、私たちがこうして仲間に入れてもらっても自然と馴染める感じがあります。
恒藤:楠木さんが他のお店を自分のお店のように紹介されていたのも印象的で。他の皆さんにも共通して言えることですが、良い意味で「所有の境界が溶けている」ような雰囲気がありますよね。琴平の魅力を、誰もが同じ熱量で語ってくれるのが素敵だなと。

清水:そういう関係性がある一方で、皆さんそれぞれ宿も運営されているじゃないですか。ビジネス的な視点で見ると、お互いが“競合”でもあると思うのですが、そのあたりはどう捉えられているんですか?
近江:まったく気にしていないです。
楠木:もともと琴平には旅館しかなかったんですよ。そうすると、例えば若い人たちが「予算が合わないから、宿泊は隣町のゲストハウスや高松にしようとなってしまう。日中は琴平に来てくれているのに、そのまま違う町へ行ってしまうのはもったいないよね、という課題がありました。だから、「もっとカジュアルに泊まれる場所がどんどん増えたらいいよね」という共通の想いで、宿が増えていったという流れがあります。現状では宿泊の受け皿はまだまだ足りないくらいですし、なによりそれぞれの宿でターゲットにしている層も違うので。
恒藤:皆さんは、誰かのものであるという“所有”の概念がなくて、地域全体でシェアしている感覚が強いですよね。だからこそ、競合意識よりも「みんなでこの街を盛り上げよう」という心地いい連帯感が生まれている気がします。
岸本:実際に、「うちの宿に泊まりに来てくれたけれど、この人はきっと楠木さんの宿のほうが雰囲気が合うな」と思ったら、お互いに紹介し合ったりもしています。目先の利益だけで動くよりも、その方に一番合う場所で満足してもらったほうが、結果的に琴平全体の客層を広げることにつながるのかな、と思っています。

恒藤:皆さんのそのような姿勢はどこから来ているんでしょうか。
楠木:池さんも話していたけど、僕たちはこの街の長い歴史の一部として、長い目でものごとを見ている感覚があります。短期的に自分たちだけの利益を追い求める、という発想ではないというか。あとはシンプルに、そもそも自分が好きなことをやっている、という点が大きいかもしれません。
近江:僕は先ほどお話しした通り、外から来た“よそ者”じゃないですか。しかも背景に企業の存在もあるので、地元の人たちからすると「パッと稼いで、ダメだったらすぐいなくなるんだろう」と思われがちな存在。だからこそ、最初から徹底しようと決めていたのが、「先義後利」のスタンスです。まずはこの街のことを第一に考え、自分たちだけが良ければいいという姿勢を捨てる。そこを徹底しないと、地元の方々が築いてこられた関係性の中にうまく入れてはもらえないなと思いました。
清水:「先義後利」って、一見すると自己犠牲のようにも捉えられがちですが、楠木さんも話していたように、「自分の好きなこと」であれば、無理なく続けられますもんね。
近江:店を運営していると日々いろいろなことがありますが、そこで踏ん張れるのは、やっぱりこの街と、ここでやっている仕事が心から好きだからだと思います。

「私たちが楽しく活動することで、若い世代にも琴平のおもしろさを伝えたい」@呑象ブリューイング

TABIPPO 清水:羽藤さんは〈中野うどん学校〉の4代目、松田さんは近江さんの会社で働く移住者です。まずはそれぞれ琴平の町との関わり方について教えてください。
中野うどん学校 羽藤:私は琴平で生まれ育ったのですが、大学4年間と社会人になってからの10年間は東京で過ごしていました。その後ここに戻ってきて、家業である〈中野うどん学校〉の4代目を継ぎました。当時のうちの会社は、とにかく自分たちの家業をどうしていくかという、自社の動きだけと向き合っていたんです。でも、コロナをきっかけに、それまで会ったこともなかった地元の大人たちや周りの人と琴平の町について話し合ったり、「何か楽しいことができないか」と動いたりする機会が生まれて。そこからだんだんと、地域全体に目が向くようになりました。

地方創生 松田:私は3年前に大学を卒業して、神奈川から移住してきました。TABIPPOと株式会社地方創生が主催した学生向けのモニターツアーで初めて琴平を訪れて、いわゆる観光的な視点だけでなく、「どんな人が街を作っているか」を感じて、すごく興味が湧いたんです。大学で観光や地域活性を学んでいたこともあり、将来はそういった職業に就きたいなと思って、社長である近江さんに相談に乗ってもらう中で、さまざまな縁が重なって今があります。当時は別の会社から内定ももらっていたのですが、琴平で働く方がおもしろそうだなと思って、この場所でチャレンジする道を選びました。
清水:羽藤さんは「Uターン」、松田さんは「Iターン」という形で琴平に関わられていると。松田さんは、全くゆかりのない土地へ飛び込むことに、迷いはありませんでしたか?
松田:迷いはなかったですね。決め手となったのは、琴平での思い出を振り返ったときに、自然とそこにいる人たちの「顔」が思い浮かんだこと。移住前に何度も訪れていたわけではなかったのですが、不思議とここで暮らす自分の様子がイメージできたんです。琴平は好きなことを仕事にしている人が多いですし、初めて訪れた時からずっと変わり続けている町。その変化の多さも、自分の性格に合っているなと感じました。

QO 國守:外から飛び込んできた松田さんだからこそ見える、琴平の魅力的な気風ですよね。地元に戻ってその変化の真ん中にいた羽藤さんは、琴平の人との関わりかたや、意識していることなどはありますか?
羽藤:今は人口が7,600人ほどで、減少し続けている現状があります。私の代は戻ってきましたが、娘の代となると正直どうなるか分かりません。 だから「誰かのために」というよりは、まずは自分自身がこれから先も楽しく、元気にこの街で暮らして働けるようにしたい。自分の老後のためって言うと語弊があるかもしれませんが(笑)、まずは自分が楽しむこと。その延長線上に、日々の人との関わりがあるんだと思います。 完璧なおもてなしができているとは思いませんが、来てくれる人は大歓迎だし、琴平に興味を持ってくれる人は多い方がいい。そうやって不安や危機感を抱えながらも、私たちが楽しそうに活動する姿を見せることで、地元の若い世代が「琴平って実はおもしろい場所なのかも」と、街を振り返って気づくきっかけになったら嬉しい。そんな想いが、どこかにあるのかもしれないですね。

清水:皆さん、まずは自分の楽しさや、幸せが言葉として出てくるのがいいですよね。いわゆる、“家業のため”、“事業のため”ではないというか。
QO 麻生:働いている姿を見ると、すごい楽しそうに過ごしているのが印象的です。
松田:琴平は、“何もない”けど“何でもできる”と思わせてくれる町。この街の雰囲気や、周りの人を見ていると、私も一生会社員として働くというよりは、いつかのタイミングで自分で何かやってみたいなと思います。
羽藤:これだけ周りにいろんな人がいると、比較的すぐに答えが出るし、反応もわかるよね。町自体に年間200万人くらい訪れるという土壌があるからできることかもしれないけれど。
清水: 確かに、この短い滞在の中でも、外を歩いていればさっき知り合ったばかりの誰かにすぐすれ違ったりしますよね(笑)。その物理的な距離の近さがあるからこそ、すぐに答えが返ってくるというか。

國守:皆さんの話を聞いていると、熱がずっと冷めずに動き続けているというか。「次はなにしよう、あれやってみたい」っていうワクワク感が、その距離感を通して外から来た私たちにもどんどん「伝染」してくる。この場所にいるだけで、なにかが生まれそうな感じがしますよね。
麻生:「町のために」「人のために」という大義名分が良い意味で前面に出てきていないところが、“琴平らしさ”のように感じます。まずは自分自身も楽しみながら、自分のやりたいことを突き詰める。そんな姿が結果的に周りの人にも伝播して、みんなを笑顔にしていく。そんな心地よい循環が、この街には自然と根付いているのだなと思いました。

「琴平には、自分と違う人やさまざまな価値観を“受け入れる力”がある」@サニーサイドフィールズ

QO 秋山:琴平から車で10分ほどの場所に位置するまんのう町にて、「サニーサイドフィールズ」を運営する多田さん。琴平で活躍する方々とはまた違った視点からお話しが伺えそうだなと思いました。
サニーサイドフィールズ 多田:たしかに琴平には住んでいますが、琴平の中核を担うチームとはほどよい距離感があるかもしれません。中心ではなく少し引いたところにいるというか。
TABIPPO 清水:そんな多田さんから見た琴平は、一体どんな風に映っているのでしょうか。
多田:僕が思う琴平は、「受け入れる力」がある町だなと思います。受け入れることって、自分とは違う多様な人々や、さまざまな価値観が存在することを知ること――。僕はそれを“教養”があることだと思っていて、琴平にはそれがあると思うんです。一見すると混沌としているけれど、そこには不思議と秩序もある。みんな自分がいいと思うことを好き勝手やっているけれど、お互いに干渉せずに受け入れているというか。それって僕らだけでなくて、昔からある大きな観光ホテルなど、これまで町を構成してきた人たちも「NO」と言わない。もしこれが、ひとつの強い理念でまとまっている街だったら、何か新しいことを始めようとすると弾かれてしまうと思うんです。でも、琴平にはそれがない。合理性や分かりやすさで町を定義しないからこそ、ここには“いろいろな人たちの考え方を受け入れる力”が自然と根付いていると思うんです。
清水:その懐の深さって、どこから来ているんでしょうね。
多田:やっぱり街の中心に「こんぴらさん」という圧倒的な存在がいるからですかね。どれだけ偉くなっても勝てない存在がいるじゃないですか(笑)。「こんぴらさん」よりすごい存在には、老舗の大きなホテルだろうが、今の琴平のチームだろうが、誰もなれない。だからこそ、その下ではみんなが平等だし、誰がそこで何を自由にやろうと許される。そんな絶対的な土台があるからこそ、町のバランスが保たれているのかなと思います。


秋山:多田さんがやられている〈サニーサイドフィールズ〉についても教えてください。
多田:ここはお店というよりは、僕が運営している会社「サニーサイド」が表現したいことを伝える場所なんです。会社のテーマに「共生と調和」を掲げていて、この場所もそこが軸になっています。僕個人の考え方として、物事をカテゴリーで分けたくないという思いがあって。もちろん、管理や経済を回す上では、分かりやすくすることも必要だと思うんですが、人と人とのコミュニケーションのような、本来はグラデーションがあって捉えにくい大切なものが、逆に見えなくなってしまう気がしていて。なので、会社に関しても、組織を立ち上げるというよりは、本来なら一緒にいるはずの人たちが当たり前に集えるような、小さな社会を作りたかった。だからこそ、何事も境界線をあいまいに、ボーダレスにしておくことが大事なんじゃないかと思っていて。この場所も、そういう考えから作りました。
秋山:どうして住み慣れた琴平ではなく、隣町であるまんのう町で作ろうと思ったんですか?
多田:正直、経済性を考えたらもっと街中のほうがいいとは思います。けど、この田園の風景がいいなと思って。やっぱり素敵なものは、素敵な環境からしか生まれないと思うので。あとは、地域全体という視点で見たとき、琴平に少しでも長く滞在してもらうためには、「点」ではなく「面」で捉える必要があって。すぐ隣にあるこのまんのう町を巻き込んで魅力を底上げしていくことで、結果どちらの街にもプラスになってくると思うんです。

清水:琴平の皆さんもそうなのですが、ビジネスや経済性とはまったく違う次元で街を捉えていますよね。
多田:地域って経済性だけじゃないと思うんです。例えば文化や歴史、風土などお金に換えられないものが多いじゃないですか。この町には非経済的で非合理的なものがたくさん詰まっている。数字で測れないものこそ、僕は大切にしていきたいんですよね。
秋山:効率や数字が求められる東京にいると、つい見失ってしまいそうな視点ですね。都会にいながらやさしくするには、一体どういう心がけをしたらいいのでしょう?
多田:どうしても都会の効率的でスピード感のある場所にいると感覚が麻痺してきたり、それこそ物事をカテゴリー分けして考えたくなってしまうじゃないですか。素敵なものは素敵なところからしか生まれないと話しましたが、人もその環境の一部。だからこそ、ものの見方を多様化することが必要だと思うんです。そのために皆さんがこういった地域に来て、その地域の人とコミュニケーションをとることも大切です。地方を旅行してリフレッシュされるのって、地方ならではの非経済性、非合理性を身に浴びるからだと思うんです。そうやって都会と地域を行き来することは、自分をニュートラルに戻すための旅でもある。振り子と一緒で、自分の気持ちに向き合いながら調整していくのがいい気がします。

秋山:最後に、今後楽しみにしていることを教えてください。
多田:ひとつ決まっているのは、公園の管理。そこで駄菓子屋をしたいなと思っています。子どもたちが自分で好きなものを買えて、そこで竹馬や囲碁、将棋をしたり。花火ができたり、自転車の練習、凧揚げをしてもいい。そうやって、親と子の関係だけでなく、人と人との触れ合いを通じて、子どもにとっての原風景を作りたいなと思っています。ここに来てくれた人の記憶の一部になれたらなって。これからもそういった切り口で活動を続けていきたいなと考えています。

人口7,600人の小さな町で起きている数々のポジティブな変化。それは、ここに暮らす人々が町を愛し、お互いを認め合い、そして何よりも自分自身が楽しみながら活動しているからこそ生まれたもの。琴平の優しい循環は、外から訪れた私たちの心もじんわりと解きほぐしてくれました。ここで過ごしたそんなあたたかな時間を「訪ね」のレポートとしてお届けします。






