たずね

【尋ね】人にも自然にも動物にも、ありがとうと言いたくなる町。八雲で育まれる、境界線のないやさしさ。

函館空港から車を走らせること約1時間半。北海道の南に位置する八雲町は、太平洋と日本海の両方に面し、豊かな第一次産業が息づく町。ここで出会ったのは、大自然のもとで、世代を超えて八雲の文化を繋いでいく人々でした。誰もが自分の役割を見出し、温かなエネルギーが巡り合うこの町で、2つの座談会を通じて八雲の「やさしさ」について考えます。

「自然や動物は対峙するものではなく、当たり前に共に生きるもの」@ペコレラ学舎

<参加者>赤井義大さん(birch株式会社 代表取締役CEO)、榊田真由さん(birch株式会社)、掛村陽介さん(掛村漁業部 陽楊屋)、稗田一俊さん(自然写真家)、清水直哉さん(株式会社TABIPPO 代表取締役)、恒藤優(QO株式会社 代表取締役)、秋山月子(QO株式会社)、國守純奈(QO株式会社)

TABIPPO 清水:まずは、それぞれ自己紹介をお願いします。今日のメンバーを集めてくれた赤井さんからお願いしてもいいですか。

birch 赤井:僕は八雲出身で、Uターンでこの町に戻ってきました。高校から大学にかけて海外で過ごしたのちに東京で会社員をしていたのですが、会社を辞めて起業して。北海道と東京の2拠点生活を経て、この町に戻ってきました。今はこの〈ペコレラ学舎〉やゲストハウス&カフェ〈SENTŌ〉の運営など、八雲のさまざまな事業に携わっています。

birch 榊田:私は千葉県出身で、3ヶ月前に八雲に移住してきました。東京で営業の仕事をした後、オーストラリアにワーキングホリデーで8ヶ月滞在して。八雲を初めて訪れたのは昨年の9月。TABIPPOが主催するツアーで八雲を旅する中で、「また帰ってきたくなる場所だな」と思っていたら、数週間後に縁があってまた八雲に。居心地の良さを感じて、何度か通っているうちに「ここに住みたい!」という気持ちが強くなり、移住しました。地域おこし協力隊の事業や、海外の人が八雲に来た時のガイドなどをしています。

掛村漁業部 陽楊屋 掛村:僕は八雲出身です。実家が漁師なので、僕自身も漁師として10年ほど働いています。それまでは、札幌の大学へ進み、そのまま札幌にあるアウトドアショップで働いたり、カナダへワーキングホリデーに行ったり。結婚するタイミングで地元に戻ってきて、漁師の仕事を始めました。メインでやっているのはホタテの養殖。耳吊りという手法で捕るのですが、今は「耳吊り選手権」というイベントの代表をしたり。地元の方や、観光で訪れた方に漁業に触れてもらう機会を色々と作れたらと思っています。

自然写真家 稗田:私は福岡生まれ、東京育ちの写真家です。主に川魚などの自然を専門に撮っています。もともと図鑑が好きで、水中撮影専門の会社に所属したのがこの世界に入るきっかけ。八雲には、ホタテ養殖場の水中撮影に訪れたのですが、その時に遊楽部川にサケが上る川だと知り、「これは絶対に撮影したい!」と強く惹きつけられたんです。他にもさまざまな理由はありますが、そこから仕事を辞めてフリーランスになり、八雲に移り住みました。北海道が仕事場となったことで、山や川へ行くとヒグマとの遭遇は避けることができないので、身を守るためにもヒグマのことを少しでも知ろうと思い、自分なりに観察を続けています。今、全国的にクマの問題がますます深刻化していますよね。だけど、単に駆除をしてしまうと、人間の生活圏の事情を知らないクマを呼び込むことになり、かえって危険になるわけです。人間との距離感をわかって生活しているヒグマを救うため、そして、川の環境改善も含めて自然本来の再生産の仕組みを蘇らせるための取り組みを、いま仲間と進めているところです。

清水:八雲は木彫り熊発祥の地として有名で、実際にクマを目にする機会も都会よりと思うのですが、ここに暮らすみなさんにとってクマの存在はどんなものなんでしょうか?東京にいるとネガティブなニュースが目に付くのですが…。

赤井(義):前提として、八雲に住んでいる人でも間近でクマを見たことがある人はほとんどいないと思います。僕も小さい頃に川で釣りをしていた時に見かけたことはありましたが、それからは去年〈ペコレラ学舎〉の付近でたまたま一頭見かけた程度。日常生活の中でばったり会うことはほとんどないのが実際の感覚です。

掛村:本当にその通りで、今テレビで報道されているほどの被害はこの町にはないかなという感じです。

稗田:農作物の被害がたまにあるくらいで、人に危害を加えるケースは、八雲町ではほとんどないです。ヒグマは人目を避けて行動しているから、普段は姿を見せることがない。彼らだって自分の身を守りたいから、無駄に威嚇したり人に近づいたりはしないんです。基本的にクマは自分たちのテリトリーを持っていて、そこに知らないクマが入ってくるのを防いでくれる側面もあります。つまり、地域の暮らしや人間の存在をちゃんと理解していているクマであれば、その場所に居続けてもらったほうが安全なんです。何も考えずにクマを駆除してしまうと、もともといたクマの縄張りがぽっかりと抜けて、その土地の事情を知らない新しいクマが外部からどんどん入ってきてしまう。だから一部の農家の人は裏山にクマが居たとしても、悪さをしないクマなら撃たない人もいます。そうやって地元の人たちはクマと釣り合いを取りながら、共存しているのです。

清水:本来なら地域を守ってくれていたはずの賢いクマを、人間が減らしすぎてしまった可能性もあるんですね。

恒藤:ここにはクマを含めた動物や生態系とどのように共生して行くかが前提としてあるけれど、都会で過ごしているとそういうことを意識する瞬間はないので、こうやってお話を聞くとハッとさせられますし、すごく興味深いです。

清水:この旅は「やさしさ」をテーマとしているのですが、それは人同士の関係性だけでなく、自然や生態系、動物との向き合い方にも「やさしさ」が存在するのではないかと感じます。

赤井(義):2021年に〈ペコレラ学舎〉を始めた時、なるべく環境負荷の少ない形にしたいと思ったんです。リノベーションで使う素材も廃材を中心に集めたり。木材を新しく買い揃えるのではなく、近所で捨てられるはずだった木をもらってきて、DIYで作ったり。単純に、地球にやさしいことをしていると自分自身も気持ちいいじゃないですか。その心地よさをみんなで共有して、日々のライフスタイルに少しでも取り入れられたらいいなという感覚がありました。10年くらい前に北海道で地震があった時に、数日間停電にあって苦労した経験があるんですけど、そういう時も困らない場所にできたらいいなと思っています。最終的にはオフグリッドにできたらなって。

清水:素敵ですね。

廃校になった学校をリノベーションして作られた〈ペコレラ学舎〉。ところどころに校舎の名残りがあり、どこか懐かしさを感じる空間。

赤井(義):子どもの頃、稗田さんとその息子さんとよく川に釣りに行っていたんですが、その時に数百匹捕れていた魚が、今はもう捕れなくて。自然環境が変わってきていると実感するし、小さいことでも自分たちでやれることはやっていこうと思うんです。けど、もともとそこまで強く意識していたわけではなくて。〈ペコレラ学舎〉に宿泊する人は環境意識の高い人が多いんです。わざわざ八雲まで来るということは、自然が好きというのがベースにあるからだと思うんですが。そういう方々と触れ合っていく中で、影響を受けたというのも大きいです。

稗田:こうした田舎にいると、地元の良さってわからないものですよね。遠方から来てくれた人の方がわかっていて、そういう人から自分たちも刺激をもらうのが大事だなと思います。

赤井(義):稗田さんの言うとおりで、外との接点を持つことが大切だなと思っています。こんなに自然に囲まれていても、八雲に住む全員が環境意識が高いかといったらそうでもない。だからこそ、外の目が入った方が、町で当たり前になってしまっている自然問題に対して、新しい視点や意識をもたらしてくれるんじゃないかなと感じています。外からの力は地域を変えるエネルギーを持っていると思うので、僕は八雲の観光に対しても力を入れていきたいって思ったんですよ。

清水:榊田さんは、実際に八雲に暮らしてみてどう感じましたか?

榊田:やっぱり動物との距離はすごく近いです。オーストラリアにいた時は、街に大きな鳥がいたり、ちょっと車を走らせればカンガルーが住んでいたり。動物と共に過ごしているのが当たり前の世界だったんですが、八雲に来た時もそれと同じような雰囲気を感じました。動物が住んでいることが前提だから、それが恐怖の対象ではなく“一緒に生きるもの”だという意識がある。あとはゴミの分別。八雲って、ゴミの分別がすごく細かく分けられているんです。例えば、生ゴミは燃えるゴミではなく単体として出すんですが、それらは農業や酪農の堆肥として使われていく。〈ペコレラ学舎〉でもコンポストをやっていますが、日常生活から、少しでも自然へ還元できているというのが素敵だなと思います。

清水:掛村さんには海の話も聞いていきたいんですが、八雲の海を取り巻く現状はどうですか?

掛村:昔のことはそんなにわからないのですが、僕が八雲に帰ってきた10年前に比べたらけっこう変わってきていると思います。ホタテって毎年いいわけではなくて、大体7年周期で悪くなる時期がくるんです。それがこの10年で短くなってきていて、3年で悪くなってしまったり。ここ2年はいい方なんですが、その前は本当によくなくて、漁師をやめようかと思ったくらい。

稗田:昔は本当に海が綺麗だったけど、今はそうでもない。川もそうですが、動物が育つ環境が失われつつあると思います。

QO 秋山:「東京に生態系という概念がない」という感覚は、本当にその通りだと思っていて。今回、八雲に取材に行くとなった時に、 “自然と共生する”ことはどんな感じなのだろうと興味があったんです。でも実際に来てみると、みなさんは生き物や自然が日常生活の延長にあって、共生することが当たり前というか。八雲は単に緑や動物が多いというわけではなくて、そこにいる人もまるごと“自然の一部”なんだなと思いました。

QO 國守:私はプライベートで山梨や静岡の方にキャンプに行くんですが、周りから「クマに気をつけてね」とよく言われるんです。整備されたキャンプ場でも危険な可能性があるから、クマを注意すべき対象として捉えられている。もちろん命に関わることなので、気をつけなければならないんですが、今日のお話を聞いていて、視点が少し変わりました。山に入る以上、出会う可能性は当然ある。その上で、クマだって人間がいることはわかっているはずなのに、それでも出て来ざるを得ない理由や生きていくための事情があるんだなと。こちらが一方的に“怖い存在”として突き放すのではなく、どうして今クマが出てきているのか、クマが置かれている環境はどうなっているのか、想像を巡らせるきっかけになりました。

恒藤:本当に想像力や、発想力が大事だなと思いました。「八雲でホタテを買いたい」と思っていたら、地元の人にとってホタテはもらうものだし、売ってないと知って。やっぱり町に自然の恵みがあること、一次産業の作り手が近くにいることがまず素敵だと思ったし、今回ホタテを買えなくてよかったと思いました。例えば知らない町に来て、ただ名産品を買って帰ってしまったら、僕らの想像力って変わってないんですよ。消費してしまって終わりだけど、今回はそうならずにこうして直接お話しすることができて。そうすると、他の町でホタテを食べた時にみなさんの顔が絶対思い浮かぶと思うんです。これって、すごく嬉しいことだなと思いました。今までの“いただきます”が、違う“いただきます”になる。

八雲町は太平洋と日本海の両方に面している立地を活かし、ホタテやサーモン、ホッキ貝などの漁業が盛ん。中でもホタテは町の漁業収益の7割ほどを占める代表的な特産品。

赤井(義):すごく共感します。僕自身もUターンをしてから、八雲の食材の素晴らしさに気づきました。美味しいものがたくさんあるけど、食べられるところがこの町には少ないので、観光を頑張っていくとなったら、まずは食べられる場所を作らなきゃって思っていたんです。けど、何年か取り組む中で「簡単に食べられないことの方が希少性なんじゃないか」と思うようになったんですよね。他の観光地と同じように高い値段で食事を食べに来て、それで帰る人を呼ぶことを目指すべきかというと、そうではないなと僕は思いました。八雲のホタテって漁師さんとの関係性があって初めて分けてもらえるものなんです。手に入れるハードルはめちゃくちゃ高い。でも、そこを楽しんでくれる人が来てくれたらすごく嬉しいなって。長期滞在する人にはホタテの耳釣りを紹介できるし、現場で漁師さんと仲良くなると、バケツいっぱいのホタテをもらって帰ってきたりする。僕らがやりたいのは、これだと。何かを買ってもらうことではなくて、関係性を育むことで生まれる、資本主義とはちょっと違う世界観。ここに関わってくれる人を地域に呼び込む方が、インパクトも価値もずっと大きいと感じています。

清水:こうして、何かを知れば知るほど自分は何も知らないんだなと気づくじゃないですか。QOが掲げる“やさしい好奇心”もそこに繋がってくると思うし、僕らがこうして色んな地域を旅する意味も、そこに結びついていると思うんです。

赤井(義):僕らは毎年修学旅行生の受け入れをしていて。〈ペコレラ学舎〉だけでなく、漁師や農家さん、酪農家の家にも泊まってもらうんです。朝4時から搾乳とかさせられて、最初はみんな嫌々なんですが、最後はけっこう泣いて帰るんですよね。終わってみれば、なかなかできない経験だし、食のルーツを知られてよかったと。旅も結局は人が興味のあるところに行くから、ただ観光地を見るだけではなく、現地の人の暮らしを知って深く関わるような原体験が、今後も必要なのかなと思いました。

恒藤:そこにはやっぱり「やさしさ」があると思います。

赤井:今の社会って生産効率を追い求めてきた結果、ものすごく分業化されてしまったじゃないですか。そのせいで都市と地方が分断されて、本来生まれるはずの交流が生まれない構造になっている。人口が増えていた時代はそれでもよかったけれど、人口が減っていく中でこの分断が続くと、地方はどんどん立ち行かなくなってしまいます。これからは「農家だから農業だけしていればいい」ではなく、違うことにも目を向けて見るとか。地方に行けば行くほど、例えば、機械が壊れたら自分で直すしかないような、かつての「百姓」みたいに一人で何役もこなす多能工的な生き方が求められてくると思うんです。そうやって色んな役割を担うことで自然と人と付き合い、コミュニティが広がっていくと思うので。だからこそ地方側としてももっと外へひらいていかなきゃいけないし、都市部の人たちも余力がある今のうちに地方との接点を作っていく必要があるのかなと思っています。“やさしくない”世界に繋がっていかないように、境界線をなくしていく方がいいのかなと思うんです。

※クマの状況は地域や時期によって大きく異なります。山や川に入る際は、必ず各自治体の最新の注意喚起をご確認ください。  

 

「自分も主人公になれる」と思える体験がこの町にはある。@SENTŌ

<参加者>藤谷周平さん(birch株式会社 取締役COO)、大内陸久さん(NPO法人やくも元気村)、水野博美さん(NPO法人やくも元気村、八雲町議会議員)、赤井睦美さん(元八雲マリア幼稚園 園長、八雲町議会議員)、清水直哉さん(株式会社TABIPPO 代表取締役)、恒藤優(QO株式会社 代表取締役)、秋山月子(QO株式会社)、國守純奈(QO株式会社)

TABIPPO 清水:大内さんと赤井さんが八雲出身で、水野さんは隣のせたな町出身、藤谷さんは他の地域から移住されたと聞いています。まずは自己紹介からお願いできますか。

birch 藤谷:僕は〈ペコレラ学舎〉の運営をはじめ、八雲や道南地域で旅行業やまちづくり事業に携わっています。5年前に地域おこし協力隊として東京から移住してきました。〈ペコレラ学舎〉を運営している会社の代表で、睦美さんの息子である義大さんとの出会いをきっかけに、施設の立ち上げメンバーとしてこの町へやってきました。

やくも元気村 大内:僕は八雲生まれ八雲育ちです。高専時代は函館にいましたが、地元に戻り、現在は「NPO法人やくも元気村」の障がい者就労支援施設で働いています。また、昨日開催された「八雲山車行列」では実行委員会の部長を務めるなど、祭りに出場する3団体の業務も担っていました。実は睦美さんは僕が通っていた幼稚園の園長先生で、園児の頃からこのお祭りに参加して今年で18年目になります。

やくも元気村 水野:私は隣のせたな町で育って、20歳の頃に保育士として八雲で働き始めました。そこからさまざまなご縁でまちづくりを手伝うようになり、そこで出会った酪農家の夫と結婚しました。現在は酪農の仕事をしながら「やくも元気村」の副理事を務め、昨年からは町議会議員としても活動しています。

八雲町議会議員 赤井:私も八雲生まれ八雲育ちです。札幌に進学後、就職を機に戻ってきました。当時、友人に頼まれて始めたのが、町で働く人たちの活動を文集にまとめる公民館の活動でした。第一次産業が盛んな町で、文章を書くことに馴染みのない方も多かったため、この仕事を通して社会教育の大切さを実感し、のちに小学校や幼稚園でも働くようになりました。教育に関わる仕事のほかに、17年前から町議会議員も務めています。

大内:赤井さんは「八雲山車行列」の創設者でもあるんですよ!

赤井(睦):当時はみんな「遊ぶ場所がない」と口にしていたので、「それなら自分たちで作ろう!」と考えたんです。公民館に子どもたちを集めてキャンプや川遊び、映画の上映や童話の読み聞かせを企画していたのですが、そうした取り組みを広く知ってもらうために始めたのが「山車行列」。地域の団体に声をかけ、リヤカーの上にアニメキャラや平和の像などの灯籠を作ってもらって、踊りながら町を歩いたのが始まりです。ただ、肝心の告知ができていなくて、最初は町の人たちから「何これ!?」と見向きもされませんでした(笑)。

清水:まさか「八雲山車行列」を睦美さんが作っていたとは驚きました。

赤井(睦):山車行列のほかにもフリースクールや就労支援などさまざまな事業に携わってきましたが、振り返ると八雲は「やりたいことができる町」だと感じます。誰かが困っていたり、何か足りないものがあっても、声を上げればみんなで力を合わせて乗り越えられる温かさがありますね。

清水:長年第一線で活動されてきた睦美さんだからこそ説得力がありますね。若手チームの藤谷さん、大内さんから見た八雲の魅力はいかがですか?

藤谷:一番はやはり大自然ですね。中心地から車で15分も走れば牧草地や山、川が広がる。札幌も緑は多いけれど、ここまでの環境はなかなかないです。あとは睦美さんの言うとおり「挑戦を応援してくれる町」というのは僕も感じています。協力隊の任期終了後も八雲に残ろうと思えたのは、自分の活動を応援してくれて、助けてくれた人たちがいたから。次は僕が町の人に返していく番だと思っています。

〈ペコレラ学舎〉やこの座談会を行った〈SENTŌ〉と同じく、赤井義大さんが手がけているゲストハウス〈Hanare〉。プライベートルームのほかにコワーキングスペースも備えていて、ノマドワーカーにもぴったり。

大内:僕は中学生の頃から社会教育に興味を持ってイベントのお手伝いなどをしていたのですが、いつかこういうことを仕事にできたらおもしろそうだなと思っていました。その後高専に進んで一度町を離れたのですが、戻ってきたタイミングが、ちょうど山車行列の周年だったんです。きっかけは覚えていないのですが、実行委員会に呼ばれて、赤井(義大)さんと一緒に「八雲山車行列キャンプ村」を始動しました。それから山車行列と八雲山車行列キャンプ村にどっぷり浸かっていって。今では、山車行列が八雲に残る理由になっているくらい大きな存在です。

QO 國守:睦美さんが始めた挑戦が、次の世代が挑戦する場所になっているんですね。

大内前の挑戦者が新しい挑戦者を助けるサイクルができていて、全世代を通じて熱い人が多いと感じます。

清水:八雲は第一次産業が町の土台として非常に大きく、これまでも地元の方と「一次産業がベースにあるからこそ、観光視点では少し守りに入ってしまう側面もあるのかな」と話すことがあったのですが、みなさんからはどう見えていますか?

藤谷:北海道全域を周って感じたのは、八雲は旬が途切れない町ですよね。通年の酪農に加え、夏はウニとアワビ、冬はホタテや軟白ネギ、ジャガイモやトウモロコシもある。山の幸も海の幸も揃っていて、それぞれが大きな規模で営まれているのは北海道でも珍しいと思います。

大内:僕はこの町で育ったので、これが当たり前なんですよ。ホタテや野菜はもらうものだという認識。一度、小樽に行ったときにホタテ焼きが一枚1000円で売られているのを見たのですが、それがすごく衝撃的で。地元ではない場所に行って、八雲の第一次産業の凄さに気づく部分はあります。

清水:水野さんは酪農家としても働いていますが、現場に立つ側としてはいかがですか?

水野:みなさんもこの町で牧草のロールを見たと思うんですが、これを収穫する時期は本当に忙しくて。まず朝起きて搾乳して、牛舎の仕事をして、昼間は牧草の作業をして、夕方にまた搾乳。その他にも獣医さんが来て、牛を妊娠させたり、子牛にミルクをあげたり。いろいろな作業があるので、最初の頃はすごく大変でした。酪農の仕事は家業で、世代を超えて同じ家に暮らしていたこともあり、環境に慣れるのも一苦労でしたね。けど、うちの家族は外で活動することにわりと好意的だったので、私も山車作りや地域の活動などにたくさん参加していました。時代的にも、母親が外を出歩くことに対して近所の方からネガティブに思われることもありましたが、家の仕事以外での活動があったおかげで、同世代の女性たちと関わることができたし、周りの人たちにいろいろと助けられました。

清水:僕らも今回牧場にお邪魔したり、こうしたエピソードが聞けるおかげで、食材のありがたみを実感します。お肉や野菜を食べるときに、八雲で出会った生産者の方の顔が思い浮かぶようになるだろうなって。ここまで話を聞いて、QOの皆さんはいかがですか?

QO 秋山:この2日間、お祭りに参加したり木彫り熊について学んだりする中で、「新しい挑戦を受け入れ、応援する」という姿勢をすごく感じました。挑戦をサポートするだけではなく、外から来た私たちに対しても、「一緒にやろうよ」と迎え入れてくれるやさしさがあって。山車行列でみんなで踊ったのもそうなのですが、伝統である木彫り熊も、この町では新しい表現や彫り方をみんなで生み出していったという歴史を知って、その“挑戦を受け入れる力”をいっそう強く感じました。お祭りや民藝など、昔から続くものって、どうしても「昔ながらの形を守っていく」ことに意識が向きやすいと思っていたんですが、八雲はそれを守りながらも新しい方向にアップデートしてきた。昔からこうして挑戦を応援する土壌があって、それがきちんと根付いているんだろうなと思いました。

今年の「八雲山車行列」の様子。山車を押す人々はもちろん、沿道から見守る人々も大盛り上がり。

QO 恒藤:お祭りって一から作れるんだと驚きました。木彫り熊を教えてくださった小熊さんも始めたのは10年前とおっしゃっていたし、新しいことに取り組む軽やかなチャレンジ精神がありますよね。

國守:最初はきっと、誰もが挑戦しやすい環境ではなかったと思うんです。睦美さんや水野さんたちが努力して耕してきた土壌があるからこそ今があり、それが海外の人にも伝わって、この町を目がけてやってくる。観光地とは違う人の集まり方をしている場所なのかなと感じていました。

赤井(睦):八雲だけではないですが、北海道は開拓地で、いろいろな場所から人が集まってきた歴史があります。私自身も実家を辿ると山形なんです。だからこそ代々、土地への強い執着が少なく、そうした“身軽さ”を持ち合わせているのかもしれません。

藤谷:他の地域に比べると、道南は北海道の中でもコンパクトな方。地域おこし協力隊の事業も、道南だからできることがいろいろあって。道東のように広いエリアだと、そもそもコミュニケーションを取るのが難しい場合もある。北海道の単位で考えると、道南はそういった面でも特徴的かもしれません。とはいえ、田舎によくあるような近すぎるコミュニティがベースにあるわけではなくて、八雲はほどよく田舎。いい意味で濃密すぎない人間関係が構築できるのも、この町ならではの暮らしやすさや、外の人を受け入れやすい空気感に繋がっている気がします。

清水:赤井さんや水野さんは、若い世代が移住してくることをどう感じていますか?

赤井(睦):ついおせっかいを焼きたくなってしまいますね(笑)。昔、仕事で他の地域へ研修に行った経験があるのですが、そこで出会ったすごく熱い先輩がいて。初対面で明日には別れるのに、「せっかく来てくれたなら、できる限りこの地域のことを教えて、自身の地域の糧にしてほしい」と、真剣に向き合ってくれたんです。その熱量に触れて、自分もそういう姿勢で人に向き合えたらと思いました。だからこそ、新しく八雲に来てくれた若い人たちを見ると、力になりたいと思うし、自分に関係のないことでも声をかけてしまうことがあります。

水野:若い人たちや海外の方と交流すると、私たちも学べることがたくさんあります。新しい人がさらに人を呼ぶ循環が生まれるし、若い発想から気づかされることも多いので、世代を超えて関われる環境は本当に素晴らしいなと思っています。

大内:昔は、この町は「若い人が出て行ったら帰ってこない町」だと思っていたんです。自分自身もいつか出ていくんだろうなと思っていました。でも、今年は150人もこの町に集まって、中には移住する人も出ている。確実に変化を感じています。ただ、地元から出ていく人もまだまだ多いので、今後は地元の若者が「八雲の魅力に気づいておもしろがれる仕組み」を作りたい。僕と同じような仲間が増えれば、より良い町として次の世代へ繋いでいけるはずです。

藤谷:僕自身もそうだったんですが、拠点があることが人が集まるきっかけになると感じています。人が集えて、そこから新しい事業が生まれていくというのはすごく大きい要素だなと。僕は〈ペコレラ学舎〉に携わるようになってから、赤井さんと一緒に“関係人口を作る”ことを意識して企画を作ってきました。何かものを作る上で、外から人を呼んで一緒に取り組む仕組みを作ってきたんです。その大きな成果のひとつが「八雲山車行列キャンプ村」だと思っていて。これまでいろいろなプロジェクトを積み重ねてきたからこそ、この規模感になっていると思うし、こういったきっかけがあるからこそ、人は来やすくなるのかなと。その結果として実際に移住される方もいるし、単なる観光客で終わらずに、深く関わり続けてくれる関係人口が増えているんだなと感じています。

恒藤:おもしろいですね。プロジェクトに「関わりしろ」があると、誰がどんな役割をやってもいいというか。都会だと、どうしても与えられたひとつの役割をきっちり果たすことが前提になりがちで、それ以外の役割にチャレンジする機会も少ないですし、あまり柔軟性もないと感じていて。でも、八雲のみなさんは多才ですよね。ひとつの職種や役割にとらわれずにいろんな顔を持っているのがいいなと思います。そんなみなさんの熱い気持ちはどこからきているのかを知りたいです。モチベーションはどこにあるのかなって。

赤井(睦):私は小学校の時の先生と、叔父の影響が大きいと思います。「勉強や運動ができなくても、人には必ずいいところがある」と言われて育って、「人のいいところを見つけて、本人や周りにそれを伝える」というのが私の役割だと思っていました。だから、なにか自分でできないことがあっても、「これはこの人に頼ろう」「この人のこういう力を引き出そう」というのを、ずっとやっている感じかな。

藤谷:僕は八雲出身ではないので、八雲に執着があるかと言われればそんなことはなくて。けど、今はこの町で自分に役割が与えられていると思うし、人に役割を渡せているという実感があります。それが自分の成長にも繋がっていると思うので、この環境はすごくありがたいなと。今度は自分を応援してくれた町の人たちに、少しでも恩返しをしていきたいです。あと、僕が八雲で役割をもらってきたように、これからは自分の下の世代にもっと役割を与えていきたい。実際に成長をする実感を味わってもらって、それがその下の世代へも循環していくといいなと思っています。

大内:最初は色んな人から「これ手伝って!」と巻き込まれたのがスタートでした(笑)。でも中学時代から「八雲のために何かしたい」と思っていたので、与えられた役割に全力で応えられる今の環境そのものがモチベーションです。

水野:八雲に来たばかりの頃は、自己紹介できないくらい自分のことを知らなかったんです。町に携わる活動を通して自分のできることがわかってきて、日々色んな経験を積み重ねていくうちに、自分の変化や成長を少しずつ実感できて。それがモチベーションのひとつにもなっているし、この町で自身が役に立っていることを感じられることも原動力になっています。

秋山:それぞれ役割は違っても、人同士の繋がりや町の魅力で強く結びついている感じがしますよね。ここに来る前は、北海道という開拓の歴史や八雲の合併という背景、さらに漁業・農業・酪農と多様な産業がある中で「同じ町だけど、どこか違う世界が並行して存在しているのかな」と思っていたんです。でも、こうしてお話を伺ったり交流したりする中で、そのイメージが変わりました。

國守:最後に、私はみなさんに今回の対談の感想を聞きたいです。

赤井(睦):今回の話でも”役割”というキーワードが出ましたが、八雲は「これを全うしなきゃいけない」という厳しい役割に縛られるのではなく、「来てくれたら一緒に何かできるよね」という関係性が自然と生まれる町だなと思いました。例えば、町の中高生に「山車を手伝って」と声をかけると参加してくれるし、その後は自分から「出たい」と連絡をくれるようになる。誰に強制されたわけでもなく、町のために自然と動く姿を見て、「ここに来たら自分も役に立つんだ」「自分も主人公になれるんだ」と思える体験がこの町にはあるのかもしれないなと思いました。

水野:今年から、農協の女性部で都会から来る親子に向けたアイスクリーム作りなどの体験事業を手伝わせてもらっていて。そこで感じたのが、まさに今回のお話にもあった「関係人口」や、地域や世代を超えた繋がりの大切さ。八雲では、外から来てくれた人と地域の人たちが世代を超えて交流し、関係性を含めていけるような工夫もたくさんしているので、私もそういう活動を全力で応援していきたいし、自分でもやっていきたい。今日は色んな視点から八雲についての話を聞けて、とても刺激を受けましたし、学び続けたいなと思いました。

藤谷:八雲に来てから、漁師さんや農家さんなど、色んな業種の方とお話させてもらってきました。業種は違っても、仕事や地域に対する熱い思いを聞いてきて。その姿に感化されて、「少しでも追いつきたい」「何か一緒にやりたい」という気持ちが自分の原動力にもなっています。今後は自分が経験してきたことを掛け合わせて、なにか新しいものを生み出したり、これまで受け継がれてきたものを繋いでいったり。地元の方々の強い思いをリスペクトしながら、八雲でも自分の役割を果たしていきたいと思います。

大内:僕はこの中で最年少なので、皆さんの話を聞いて率直にすごいなと思いました。八雲の町にこうして関わるようになったのはここ数年のことなので、まだまだ勉強中。これからも皆さんに近づくようにこれからも努力していきたいし、いつか自分より下の世代が来たら、自分も後輩にすごいと思われる人でありたいなと思いました。

 

大自然とともに生きる八雲。古くから開拓地としてさまざまな人を受け入れてきたこの町は、多様な価値観や新しい挑戦を拒まず、緩やかに包み込む文化を育んできました。自然も世代も、内と外も、境界線を滑らかに溶かし合いながら、誰しもが自分の役割を見出して「主人公」になれる場所。八雲のそんな“やさしい世界”は私たちに新たな視点を与えてくれました。「訪ね」の記事では、この地でいただいたたくさんの恵みと体験の様子をお届けします。