たずね

【診ね】幸せの器を大きくする方法を教えてくれる町。南房総で感じた「やさしさ」の正体。

旅先での出会いの中には、その場で感じる「やさしさ」もあれば、しばらく経って旅を思い返した時にじわじわと効いてくる「やさしさ」もある。そこでやさしさ編集部では、旅から帰って数週間後のある日に座談会を実施。現地で感じた率直な想いや、南房総ならではのやさしさ、この旅を通じて得た新しい視点などについて語り合います。

秋山:

やさしさ編集部の旅、第2弾は千葉県の南房総へ行きました。麻生くんは初めての南房総だったと思いますが、行ってみてどう感じましたか?

麻生:

まず印象的だったのは、お会いした方々が「皆さんの意見を聞けて楽しかったです」「素敵な会を開いてくれてありがとう」と逆に感謝してくださったこと。旅人である僕らが与えてもらう側だと思い込んでいたけれど、自分たちから与えられるものもあるんだと胸が温かくなりました。双方向の感謝、双方向のやさしさがあったなって。

秋山:

それは私も感じました。岩井エリアには民宿がたくさんあって、土地柄として”おもてなし”の意識が強いのかと思いきや、移住者を特別扱いしない雰囲気もあって。出身や立場にかかわらず、フラットに人と人として繋がっているんだなって思いました。

麻生:

「南房企画」の磯村さんが対談中に泣いていたのをすごく覚えていて。東京から移住して3年で、地域の仲間とああやって本当に家族みたいな関係を築けているのが純粋にすごいなって驚きました。

秋山:

地元の方々からしてみると「移住者を受け入れた」というより「ご近所さんが増えた」という感覚だと話していましたよね。移住者だからって歓迎されすぎても逆に境界が目立ってしまうだろうし、そうじゃないところが素敵だなと感じました。特別扱いするのではなく、単純に「困っている人を助けたい」「ご近所さんの力になりたい」という気持ち自体が、みなさんのやさしさなんだろうなと。

麻生:

特別扱いじゃないやさしさって、本当のやさしさって感じがしますよね。

秋山:

2つの座談会を通じて、みなさん「ここには自分にしかできない仕事がある」と強く感じているのかなと思って。日々忙しく働いていると、「これは自分だからこそやれることなのかな?」とふと立ち止まってしまう瞬間もあったりするので、「やりたい」「やるべきだ」って想いをちゃんと持っているのが少し羨ましく感じました。

麻生:

「やるしかない」という使命感を持ちつつ、楽しそうに仕事をしているのが印象的でしたね。

秋山:

お話を聞いていると、やっぱりみなさん“好き”が原動力なのかなと思いました。危機感や課題を抱えながらも、好きだから向き合い続けられているというか。与えられた役割をこなすとか、義務感とかではなく、純粋な想いで動いているように感じて。

麻生:

考えていることのスケールが大きかったですよね。町を守りたいとか、自然を守りたいとか。琴平で出会った方々と話した時は、長い歴史や町の未来を大切に思い、広い時間軸で物事を捉えていると感じたんです。南房総の方々は、みなさん環境軸や空間軸を広く捉えているように感じました。大きな課題と向き合っている分、きっとやりがいも大きいんだろうなと思います。

秋山:

私はやさしさって人と人の間にあるものだと思っていたんですが、南房総の方々と一緒に過ごす中で「人だけでなく地球にもやさしい」と感じて。旅のあいだ、波の音を聞いて、夕焼けを見て、気づいたら夜になっていて…そんな時間を過ごす中で、「私も地球の一員なんだ」と感じることができました。目の前の仕事やたくさんの情報に追われている時よりも、自分の身体の感覚や、地球に生きている実感が湧いてきたというか。

麻生:

それは僕も感じました。

秋山:

普段自分が見えている範囲がどれだけ狭いかを思い知りましたね。琴平では自分のラベルが剥がれて何者でもなくなる感覚があったけれど、南房総ではすごく当事者感があった。地球にいる私、今この時間を生きる私…みたいな意識が強くなったんですよね。座談会で竹本さんが「移住してきてから、自分が幸せと感じられるキャパが広がった」と話していましたが、南房総に滞在している間、私もその一端に触れました。

麻生:

ストレスでいっぱいの状態より、幸せをいっぱい感じられている方が、絶対人にもやさしくできますよね。そういう意味での町の豊かさを感じた旅でした。取材する方々はみなさん「そんなにやさしくしてるつもりないよ」って言うじゃないですか。このプロジェクトと矛盾してしまうかもしれないけれど、今回の旅を通じて、「やさしさって鍛えるものじゃないのかもしれない」と思ったりしました。

秋山:

自分のラベルが剥がれる琴平に行ったり、自分という存在を再認識できる南房総に行ったり…こうやっていろんな環境に身を置く中で、少しずつやさしさの解像度が高まっていく予感がしています。これから先、振り子のように、いろんなところへぶんぶん身を振っていきたいと思います。

麻生:

僕はこれまで、自分の振り子が東京とローカルの2箇所を行き来するしかなかったんですよ。でも、いろんな土地を訪れる中で、当たり前だけどそれぞれの地域にいろんな魅力があって、行く先々でいろんな自分になれるっていうのが新鮮な感覚でしたね。

秋山:

これからどんどん点を増やしていけたら、また知らない自分に出会えそうですよね。今回の旅を通じて、自分の意識や、やさしさの捉え方はまた少し変わりましたか?

麻生:

南房総から帰ってきて強く思ったのは、“誰かのために”、“組織のために”、“町のために”っていうモチベーションは“好き”とともにあってこそだなということ。相手が好きだからやさしくしたいとか、この町が好きだからもっと良くしたいとか…。慌ただしい日々の中にいると、そういう感情にモヤがかかってきがちな気がするので、やりがい意識や「好きだからこれをやっているんだ」という意識を大切に持ち続けたいなと感じました。そういう自分でいることが、結果的にやさしさに繋がるんじゃないかなって。

秋山:

なるほど。

麻生:

以前までは、「好きなことを仕事にしよう」とか「自分を好きになろう」とか、そういうのは綺麗事だって思ってしまう自分がいたんです。でも、いろんな地域を訪れて、実際に好きを仕事にしている方々と話していたら、決してそんなことないなって。僕みたいに企業に所属して働く人でも、好きを大切にしながら仕事をすることができるって思えるようになりました。

秋山:

素敵ですね。私は正直、やさしさの答えが見えてくる感覚はまだなくて…。いろんなやさしさがあるってことへの理解がどんどん深まっているのを感じています。私はわりと無趣味で、広く浅くなタイプだけど、旅先で出会うみなさんのように熱を持って語れる“好き”が欲しくなったし、透明な存在にならないようにしたいなと思って。“こうありたい自分像”がどんどん明確化してきました。

麻生:

僕らの旅はまだ続きますが、「やさしさの正体がわからないことが答えなのかもしれない」とも思えてきました。きっと訪れる先々でまた違うやさしさに出会えるだろうし、答えが一つとは限らないんだろうなって。

秋山:

たしかにそうかもしれません。やさしさの解釈が広がって、グラデーションが生まれるのを実感しています。一つ、私が確信を持っているのは、やさしさは意識的に差し出すものじゃないということ。誰かが持っているものを差し出したり受け取ったりってことではなく、誰かと誰か、誰かと何かのつながりの中で自然と生まれるものなんだなと今回改めて感じて。誰かや何かとのシェア、共有の中で自然と発生するやさしさを大切にしていけたらなと思いました。

町を守りたい、自然を守りたい、命を無駄にしたくない。大きな課題と向き合うためには、どうしても張り詰めた表情で身構えてしまいそうなものだけれど、南房総で出会った人たちの営みは、使命感や義務感ばかりには見えなかった。守りたいものや携わるものが好きだから苦しくもなるけれど、好きだからこそ大切にする。この町が好きだから、来てくれた人をありがたく思う。その行為自体が自然で、生活の延長線上にある。そんな在り方に触れたとき、私たちは自然の中に生きる“一人の等身大のわたし”に戻れて、感じ取れる幸せも増えた。南房総の「やさしさ」とは、誰かや何かとシェアされる想いや空気感から、自然と幸せの総量を増やしてくれるものだったのかもしれない。(やさしさ編集部 秋山)